茗荷谷の猫

 

茗荷谷の猫 (文春文庫)

茗荷谷の猫 (文春文庫)

 

 

いまから6、7年前、丸の内線をよく使っていた。

ある小雨が降る日。季節は初夏だったと思う。茗荷谷に着く少し前、電車の窓から見える家の室外機の上に猫がいるのを見つけた。電車のなかでは熱心に本を読んでいたから、本当に偶然顔を上げたのだと思う。

その日から、茗荷谷の猫を確認するのが日課となった。

あの家の飼い猫なのだろうか。それとも野良猫がそこに住み着いてしまっているのか。いつか茗荷谷で下車して近くまで行ってみようか、でも電車から見える家を実際に探せない気がする。そんなことを思っていた。

それから半年後か1年後か忘れてしまったけど、私は丸の内線を使わなくなった。それ以来、私はあの室外機の上の猫を見ていない。

 

茗荷谷の猫』という小説の存在を知ったのはそれから数年たったとき。古本市のワゴンで偶然目に入った。真新しい本で、見ると発売した直後のものだった。発売直後に売られるってことは、もしかしてつまらないのかな・・・と思い、内容は一切見ずに戻した。

そしてさらに数年後、『漂砂のうたう』で木内昇が直木賞を受賞し、「『茗荷谷の猫』のひとだ!・・・女だったのか!!」と思った。

 

それから読むのにさらに数年かかってしまった。“茗荷谷の猫”は、室外機の上ではなく、物置の床下に住んでいた。

この小説は、幕末から戦後にかけての東京で、それぞれの時代を生きる人々を描いた連作短編小説だ。登場人物が少しずつ絡み合ってくるのが心地いい。途中、ドタバタする話も挟むけれど、基本的には庶民の日常を描いた大人しいものだ。

私はこの本がとても気に入った。でも、きっと発売当初・・・古本市のワゴンに売られていた頃に読んでいたら、面白さは感じなかったのではないかと思った。

 

最近よく考えるのが、小説を読む適齢期ってあるなーってこと。先日『羊をめぐる冒険』を読んでいまは『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいるんだけど、村上春樹はもっと幼い頃に読んでいなければいけなかったのだと思いながら読んでいる。学生時代、春樹は大嫌いだった。だから読まなかった。それなら読まなきゃよかったのだ、一生。その時期が過ぎてしまったんだから。そんなことを思う。

 

 

 

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